明日香村の八角墳(中尾山古墳)は天皇陵?八角形の古墳とは。

歴史

明日香村の八角形の古墳
についてのニュースを見たのですが、
八角形の古墳があること自体初耳の私。

知っている古墳と言えば前方後円墳や円墳、
方墳くらいなものでしょうか。

もしかして古墳っていろんな形があるんじゃないか
と気になりました。

またこの八角形の古墳って
もしかして超珍しいものなんじゃないかとも思ったので
古墳についても調べてみました。

 

古墳の形はいろいろある!案外バリエーション豊か。

前方後円墳


仁徳天皇陵を筆頭にいわゆる「偉い人のお墓」のイメージがあります。

 

円墳


現代では丸っこい山にしか見えませんが各所に点在している
日本で一番ポピュラーな古墳です。

 

方墳


四角い古墳

 

帆立型古墳


前方後円墳の後ろの四角が小さくなった古墳

 

上円下方墳


二段になっている下が四角、上が丸の古墳

双円墳


二つの円墳が連なっている古墳

八角墳



八角形の古墳

 

このほか前方後方墳やら
形になぞらえた種類がまだまだあります。
古墳て名前で形が想像しやすいですね

 

八角墳は日本にどのくらいの数あるの?

八角墳て案外あるんですね。
初発見かと思いきや、
レアではあるけれどいくつかすでに発見されていました。
その数12個
そうなんじゃないかと思われているのがほかに3個ほど。

八角墳は飛鳥時代の天皇の墓の特徴とされています。

12個あるということは飛鳥時代には
天皇の代替わりが12回もあったんですね…。

昔は平成天皇と同じくご存命のうちに
退位される方も多かったんでしょうね。

 

で、八角墳「中尾山古墳」はどの天皇の御陵なの?根拠は?

結果としてはまだ確定されていません!

大宝律令を制定した
文武天皇の陵墓だと推測される
ということです。

文武天皇の陵墓は栗原塚穴古墳だと
今まではされてきていました
推測のもととなる事実を照らし合わせていってみましょう。

古墳が作られた時代には基本的に天皇は土葬で葬られることが多く
「もがり」と言われる3年ほどの長いお葬式期間を経て古墳に葬られました。
この「もがり」が仏教の伝来とともに伝わった火葬により短期化されます。

文武天皇の先代、持統天皇(文武天皇の祖母)が
初めて火葬された天皇だということが続日本紀に明記され、
その後の、
文武天皇、元明天皇、元正天皇らも火葬されていることがわかっています。

文武天皇は飛鳥の丘で
 火葬されていることが文献で確認
できます。

④中尾山古墳は火葬墓であり遺骨を安置する場所があります。

中尾山古墳の石室は赤く塗られていましたが、
天武天皇・持統天皇の合葬墓も同様の特徴があります。
天皇のお墓の特徴なのでしょうね。
さらに言えばその合葬墓も八角墳なのです。

中尾山古墳の石室には
「大王の石(おおきみのいし)」と呼ばれる竜山石が使われており、
埋葬者の権威の大きさがすごいことを物語る材料となっています。

栗原塚古墳の形状などは公開されておらず、
さしたる特徴がないのではないかと推察されます。
また天皇陵としたらかなり小ぶりなのだそう。

 

以上のことから発掘調査に携わった専門家の多くは
ここが文武天皇の真のお墓なのではないか、
と推察しているわけです。

いやー。納得。

 

 

まとめ

八角墳は飛鳥時代の天皇の陵墓の特徴であり、
専門家たちの見解は
明日香村の八角墳(中尾山古墳)は
天武天皇陵の可能性が非常に高い
とのことでした。

しかしながら
宮内庁では文武天皇陵は
栗原塚穴古墳だとされており、
それを変更する予定は今のところないそうです

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