ぶらぶらサタデーで高尾山の男坂に
渡辺直美さんが挑むようですね。
私自身高尾山を訪れた経験がないのですが、
男坂という言葉は高尾山に限らず
いろんなところで耳にするんですよね。
「男坂」と言うだけになんとなく
女の私が通ってはいけないような
気がしていました。
渡辺直美さんが男坂に挑むということは
女性が通っても問題はないのでしょうね。
とはいえ、ちょっと気になったので
男坂がどんなところにあるのかなど、
男坂について調べてみることにしました。
男坂とはどんな坂?
…「男坂とは」とグーグルに尋ねると
車田正美の漫画「男坂」が
結構な頻度で出てくることに
驚きを隠せませんw
車田正美って聖闘士星矢の作者ですよね。
私はアニメの方が好きでしたが、
かなりはまっていました…
話を本題に戻します!
男坂とは、
参拝する場所などが高いところにある場合の
急なルートを指すようですよ。
高尾山も山中に
「高尾山薬王院(たかおさんやくおういん)」
というお寺さんがあるので、
そこへの参拝ルートとしての男坂
なんでしょうね。
男坂の対となる「女坂」も存在します。
女坂はお察しの通り、
緩やかな参拝ルートを指します。
男坂や女坂があるところ
私がお邪魔したことがある
男坂・女坂が場所で
印象に残っているのは
宮城県の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)です。
鹽竈神社は結構な高さのところに
本殿があるんですよ。
松島に観光旅行に出かけた際に
立ち寄りました。
土地勘のないまま、
駐車場に車を停めて向かった我々は
たまたま運よく裏坂(通称女坂)からの
のんびりした参拝ルートを採れました。
帰りに見に行った表坂(通称男坂)の
急っぷりに驚いたものです。
一緒にいた母は絶句した後
「あたしはこっちは無理だわ。転げてしまう。」
とつぶやきましたよ。
このように
高い場所にある寺社には
男坂・女坂があるようですね。
鹽竈神社のように表坂・裏坂と
呼ばれることもあるようです。
寺院や神社は修行の場でもあったので、
僧侶の修行に使用した道が
男坂であり、
もともとの正式な参拝ルート
でもありました。
僧侶の修行として使われるルートは
女子供・年配者にはキツかろう、
というわけで
女坂が作られたということです。
男坂の逸話
有名な男坂のお話に絵本にもなっている、
曲垣平九郎という方の講談
があります。
私はこれを調べて初めて知ったお話でしたが、
絵本も出ているので、ご存じの方も多そうですね。
出典:講談社クラブ
これは
愛宕神社でのお話
なのですが、簡単に。
江戸幕府の三代将軍、徳川家光公が
芝の増上寺にご参詣の際、
帰り道に愛宕神社の下を通りました。
春のいい季節だったので愛宕山には
梅が満開に咲き乱れており
いい香りをあたりに振りまいています。
香りに誘われた家光公は
その梅を所望され、
「誰か馬に乗って
あの梅を取ってこい!」と
御命じになりました。
でも愛宕山の急勾配の男坂は
歩いて上り下りするのも一苦労なのです。
ましてや馬での上り下りなど
命取りになりかねない、と
家臣団は一様に下を向くばかりです。
家光公のご機嫌はみるみる悪くなり、
爆発寸前に。
そのときです。
蹄の音も高らかに、
その急な石段を登り始めた者がありました。
しかし家光公はその者の顔に
見覚えがないのでした。
「あの者は誰じゃ?」
家光公の近しい家臣ではなさそうです。
誰かが
「あの者は丸亀藩の家臣
曲垣平九郎と申す者です!」
と返事をし、家光公はこう答えました。
「そうか!こんな平和な世の中でも、
この石段を登れるくらいの
馬術の鍛錬をしているとは
誠にすばらしいな!!」
見事な馬さばきで石段を上り下りした
曲垣平九郎は
家光公に梅を献上いたしました。
家光公より
「日本一の馬術の名人」
と讃えられた
曲垣平九郎の名は
一日にして全国にとどろきましたとさ。
これにちなんで愛宕神社の男坂は
「出世の石段」
と呼ばれるようになりました。
現在でも出世を切に願い参拝に訪れる方は
辛くともこの男坂を上り、
参拝に向かうとのことですよ。
まとめ
男坂は神社やお寺が修行の場だったころの
僧侶の修行に使っていた道で、
険しい、急勾配の坂道であったり、
階段であったりすることが多いようです。
急勾配の愛宕神社の男坂には
出世につながるという
逸話も存在します。
男坂に対し、
女坂という一般参拝者向けのルートが
のちに作られました。
もちろん
男坂を女性が上っても
何ら問題はありません!
ここまでご覧くださって
ありがとうございました!
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